日々のこと/2003.3(その2)


牽引初体験の巻

ダンプ爺が止まった。
「あれっ、アクセルがヘンだ。なんだ、なんだ・・・」
親方の冗談かと思っていたら、減速して、スッポンと停止してしまった。
東名の厚木インターを出て小田原厚木道路に入ったばかりだ。
次男坊の引越しで、早朝伊東を出発し、茨城から千葉へ荷物を運んだ帰り道。
不要な荷物と不要でない次男坊を載せて、
雨の中の引越し作業にクタクタの午後11時。
キーを何度か回しても悲しい音がするだけで、かからない。
去年、クラッチを取り替えて絶好調の走りだったのに。
パニクるわれら。
P灯をピカピカさせて停車している横をビュウーン、ゴアーン、パウーといろんな車が過ぎる。
暫くして「道路公団」「JAF」という名詞がやっと混乱した頭に浮かぶ。
JAFの番号を104で聞く。「#8139」
緊急電話の位置まで距離があるのでJAFから道路公団へ連絡してもらう。
先に道路公団のパトカーが到着し、優しいお兄さんがテキパキと指示してくれる。
娘がいたら嫁に行かせたいような、良いお兄さん。
チカチカ光るコーンを置いてもらったら、少しホッとした。
続いてJAFのお兄さんが到着。
こちらも負けず劣らずテキパキ&優しい、良いお兄さん。
スッタモンダの末、その場で修理して無事に伊東へ帰れるという望みは絶たれ、
やや後ろに傾いた3人を乗せたダンプ爺は、牽引されて最寄の修理工場まで運ばれたのだ。
運転席で腕組みをしたままの親方。
何もしなくてもダンプが進むフシギを味わっている。

かくして、伊勢原からタクシー代26000円を使い、帰宅したのだった。

直線道路でなくて良かったね。
千葉や茨城でなくて良かったね。
事故にならないで本当にマジ良かったね。
などと、良かったね、をいくつか並べて、仏壇に線香をあげてチンチーン。
夜中の3時に線香をもらい、戸惑うご先祖様たち。
ついでに毘沙門天の達磨にチュをして、神棚にパンパンと手を合わせ、
アーメンと天を仰ぐ。
しかし、頭の半分はJAF+タクシー+修理+・・・=¥¥¥とほん

翌日、修理が終わり、親方は電車に乗ってダンプ爺を引き取りに行った。
「燃料回路清掃」という簡単な作業だったとさ。
まだまだ走れるとさ。

ダンプ爺よ、あと少し、頑張っておくれ。


おまけ

今月のダンプ爺が活躍したお仕事です。
駐車スペース確保のため既存の石積みを撤去し、
建物ぎりぎりまで土を削りラインブロックを積みました。
狭くなった植栽スペースには宿根の草花を植えました。
お施主さんは優しいおばあちゃんで、気持ちよくお仕事させてもらいました。

前(幅の狭いスペース) 後(倍の幅を確保) 手間のかからない花を