日々のこと/2003.3


年輪

バブル期に所有権移転がコロコロ繰り返され、
これでもかと、開発、宅地化されてきた山林。
粗悪な石と土で盛り土され、貴重な野草もろとも削り取られ、
切り倒された邪魔もの扱いの大木が横たわる。
しかし、所有権移転の儀式がストップした箇所から次第に
そこに飛んできたカヤの種が芽を出し、クヌギの実が芽を出し、
もう一度山林に戻りたくて成長し始める。
どこを切り、どこを盛ったか解からない見た目は平らな土地。

ツボ単価が底値で税制も今が有利だからと、
人が住むための家を建てるべく、再び所有権移転が行なわれる。

山林に戻りたくて育ち始めたクヌギの若木を切り、カヤを刈り、
横たわるクスの大木を輪切りにし運ぶ。
草が生え苔に覆われた切り株の横で、腐りもせずに眠っていクスの木。
100以上刻まれている年輪が不思議そうに呟く。
「あんたら、いったい、なにしてんだい。」

自然の営み、循環から見たらまるで可笑しな行為なんだろうな。

「ここに住むヒトのために、庭を造るんです。」
そう、私はただそれだけの事でここにいる。


かつて、
道路のない袋地、電気、水道、排水設備のない山、谷状の斜面、
どんなところでも、売れた。
今日売りに出すと、明日売れた。
「ええーっ、売れちゃったのぉー」と舌打ちをする。
銀行は土地さえあれば、融資した。
手付けで億単位の金が振り込まれた。と、誰かが言っていた。
狂った時代の狂った感覚。

バッグの中で眠る小さな黒いビニールケース。
金色の文字で宅地建物取引主任者証と書いてある。
登録年月日昭和62年12月15日。
会社の業者登録は(5)になった。
しかし登録後16年間、ほとんど取引ゼロのまま。
遠くで他人の取引を眺めていればいい。
講習会で知識を少し深められれば、それでいい。
新年会で営業の真似事ができれば、それでいい。
造園の仕事とどこかでつながっていれば、それでいい。
7年間、宅建試験の監督員もやっている。
年毎の問題傾向を少し覗いてみて、それでいい。

庭の仕事の方が何倍も面白く、性に合っている。
自分の手で形を変え、造り上げることが、好きだ。

これでいいのだ。
根っこから吸い上げる水で少しずつ広がる、幅の小さな年輪が好きだ。