日々のこと/2003.5.その2


5月病は終わる

伊東緑化組合の会計になった。少し、タイヘンだ。

「嫁入り」してから初めて、家族から離れて旅をした。

雨が5日続いた。3×5≒15食の美味くない食事をした。

現場でヘビと出遭った。足がないのに、なぜ進むのだ?

現場で腐った丸太を片付けようと持ち上げたら、イボガエルが寝ていた。

友人が、卵巣脳腫の手術をした。快気祝いの会が楽しみだ。

兄貴が肝臓と十二指腸を患い入院した。

社会に出た次男坊がカーネーションと低反発枕と化粧品と焼酎「鳥飼」を送ってきた。
送料着払いから脱皮した。

いつもと違う5月だ。どこか何か違うような気がする。
肩の荷が入れ替わり、とりまく人と自分の年齢が足し算されただけなのかな。
いろんな数字にこだわり、疲れたのかな。

先月、台湾にお住まいのKさんという日本人女性が、
伊豆高原に別荘を買われて、庭の管理を依頼してくださった。
はるか海の向こうから、インターネットで私を探してくださった。
打ち合わせの後、台湾に帰られて、その後、SARSの騒動が激しくなった。
その後、お元気そうなメールを戴き、ほっと安心した。
台北では、マスクから目だけぎょろぎょろ出した人たちが、
普段と変わらぬ生活をしているそうだ。
「人生は何か目に見えないものに決められていて、
人と人は何処かでつながっていて、そして人に生かされている。」
というKさんのメールの言葉に、まさにいつも自分が思っているとおりだと、感激した。
すべての人の横軸に時折交差する縦軸が、遠くで近くで、一致する瞬間があるのだ。
だから力を抜いて、運命の波にプーカリプーカリ身を委ねるのだ。

川奈のY邸では、雨の合間に鬱蒼とした庭の改修をした。
広い敷地の一部は自然の林のまま、庭の借景となっているが、
伸び放題の庭木で隠れてしまっていた。
日本庭園の借景式庭園を語るほど、知識も経験もないけれど、
庭をとりまく景色や訪問する鳥や動物たちを眺めの一部にするのが、
私はとても好きだ。
そんな環境に生きる庭はシアワセだと思う。
人と人とのつながりも似ている。
周囲と断絶された、塀に囲まれたようなココロは悲しい。
伸び放題で、中がパキパキ枯れたココロは薄くて弱い。

これからも、目に見えない何かでつながる人たちと、同じココロで出会えるといいな。

庭木の剪定等で奥のクヌギ林が生きる 存在感ある井筒と景石 生垣を低く刈り揃える