修行日記/2003.1.31


ウメが一輪

去年の手帳をパラパラめくり、今年は少し休んでも良いのだ、と思った。
仕事と家事に追われる日々、自由になりたいと思う暇もなかった。

念じた訳でもないのに、その思いが通じ、
キャンセル、延期、
はたまた手柄を立てたい欲張り爺さんの策略などなどで、
今月は予定外の時間の余裕ができてしまった。
金銭的な余裕はなくなったのだが、あれだけ欲しかった自由時間だ。
ワガママに使おうと決めた。
親方は消防団の用事が多く、与えられた時間を有難く使い、
私は、正月は帰省した息子やその友達、親戚知人の接待に忙しかったが、
その後は、自分のために時間を使いまくった。
ミシンをドンと据えて、買いためてあった布を広げ、ホームソーイングに興じた。
気がつけば、10着ほど、縫っていた。
夜は好きな音楽を聴きながら、パッチワークをした。
いつもは洗濯をしたりと忙しい時間帯が、夢のような世界だ。
お客様が始めた太極拳の教室へも、いそいそ出かけた。
バランスのとれた緩やかな動きに魅力を感じた。
ラケットの1年分の埃を拭い、テニスコートへも通った。
ドロップショットを走って拾い、切り返しのアングルにナイスショット。
チャンスボールを空振りスマッシュ。
燈篭の前にはクリスマスローズを植えた。
お客様からのプレゼントだ。
顔を思い出しながら、嬉しさにニコニコして植えた。
何をしても解放感に浸り、自分の時間を満喫した。

そして、
仕事に明け暮れる日々の時間も、
家族のために四苦八苦している時間も
廻って考えれば全てが自分のための時間なのだ。
と、満たされた気分の中で気付く。
私レベルでの拘束と自由は、案外、近いんだな。
と、安心する。

そんな日々、まだまだ時間が長く感じるのは、セナが居ないからだ。
アイツのために使っていた時間を、使い切れない。
家路を急ぐ理由が減り、運転中に何を思えば良いのか戸惑う。
最後の声が耳から離れず、鼻面を触る感触が手に残る。

イヌの成仏にも七日七日の区切りがあるのかどうか、知らないが、
とりあえず、1月31日が四十九日にあたる。
それに間に合うようにと、親方が資材置き場の倉庫の横に、墓を造った。
ペットの葬儀屋で火葬してもらった遺骨は、人並みの大きさの骨壷に収まっている。
排水枡が丁度良い大きさだと気付き、それを埋けこみ、平板の石を墓石にし、
周りに芝生を張り、塩ビの竹で花入れを造った。

納骨して蓋を置いたら、居ない事が余計に悲しくなった。

墓の後ろでウメが一輪、咲いた。