修行日記


12/26//泣きっ面に止まったハチは刺さずに飛んで行ったのだ


「シュウちゃんが救急車で運ばれたからすぐ市民病院へ来て」
夜中の2時半、消防関係の友人からの電話だった。
酔ってスナックの階段から転げ落ち、頭を打ったという。
出血はひどいが意識はしっかりしている・・・。

その日は金曜日で、消防本部の忘年会だった。

慌てて着替えて車を走らせた。
家から市民病院までは5分ほどだ。
ぶるぶる震えてハンドルを握った。
薄暗い待合室にスナックのママと従業員と電話をくれたS氏がいた。
処置室に運ばれたまま、なかなか出てこないらしい。
へたり込む私を「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と励ますS氏の言葉についつい涙が流れてしまった。
今、あの人に何かあったら、もう、もう・・・・・

漸く処置室の中に呼ばれたのは、どれくらい時間が経ってからだろうか。
中へ入ると、正面のベッドの上にヘラヘラ座っている酔っ払いがいた。
頭がおかしくなったのか、と一瞬思ったが、ただの酔っ払いだとすぐに分かった。
それを横目で過ぎて衝立の向こう側に入り、
CTの画像を見ながら現段階では異常ないとの説明を受けた。
「あの調子ですからね、縫うったって上手く縫えませんでしたからね!」
と、白衣の先生は酔っ払いにちょっぴり怒っていた。

看護師が幼児をなだめる口調で血でバリバリになった酔っ払いの髪を拭き、
4針縫った傷痕にガーゼを当て、ネットの帽子を被せてくれた。
良かった、良かった、良かった・・・と処置室を出て、
待合室で、良かった、良かった・・・と力が抜けた。
血だらけのコートを着せ、ママやS氏にお礼を言い、病院を後にした。

何度も何度も、「ああ、良かった」を繰り返し、
まだバクバク高鳴る心臓のまま、冴えた頭のまま、朝になった。
定刻に起きるはずもない酒臭い負傷者は、いつもと変わらない寝顔に見えたので、
「ああ、良かった」と、自分の一日をスタートさせた。
まず、その日行くはずだった現場へ電話を入れた。
「昨日、怪我をしてしまって・・・」と、言うと、気持ち良く延期に応じてくださり、しかも怪我の様子を気にかけてくださった。
あ、そうか、仕事で怪我をしたと思ったに違いないな。
そう言えば木から落ちた事はないんだなあ。

そして、結局2日休んで現場を再開した。

連休明けの検査でも異常はなく、後は明後日の抜糸を待つ。

今年の不運をこれで吹っ切れたようなスッキリした気分・・とまでは行かずとも、
何があってもヘコタレナイ、不死鳥のような強さとまでは行かずとも、
それらに近いものを感じたのは確かだ。

上手く噛み合う人生には、実力とともに「運」が必要らしい。
これは誰かから聞いたこと。
そして、ゴーサインを出す判断力と、ブレーキをかける判断力を持つ奴が生き残る。
これは私の持論。

なにはともあれ、あれこれ嫌な事が続く中、今年はたくさんの仕事を頂いて感謝の気持ちで一杯だ。
そして、つまらないこの日記を読んでくださる方々へも、いつもいつも感謝の気持ちで一杯。
(来年はもっともっと面白い人生にしますので、宜しくお願いいたします。)


12/13//嫌な事は忘れてしまおう

まだ過去形にするには早いが、今年1年はいつにも増して忙しい毎日だった。
でも、この「忙しい」のフレーズは、時に表に出してはいけないのだと痛い思いをした事があった。
施主様と自分がどこまで親しくするのか、いつも迷うのだが、
ついつい「友達感覚」に近いものを感じると、「信頼関係」があるものと勘違いをし、
「自惚れ」が何かを狂わせる事もあるのだ。
剪定の日程も曖昧で、どこまでこちらが手を出すのかという境界線も曖昧だった。
そして、「忙しさ」の中での御用聞きだった。
うちは基本的にご御用聞きはせず、ご依頼をいただいた順にスケジュールを組むのだが、そのあたりも曖昧だった。
そして、結局、留守の間にチョコチョコと高い木だけを剪定する事になった。
電線にかかっているのが気になる・・・くらいの打ち合わせだけで、後は「お任せコース」になった。
そして次の日、12年に1度・・・かもしれない程の、ショックな言葉を頂いた。
私はこれまで数多くの人に頭を下げて生きてきた。
だから、これしきの事は平気だ。
でも、自分と違う生き方をしてきた人なんだな・・・と、そう思ってしまった自分の一部が、卑しい。
ま、いいか。
の一言で済ませてみよう・・・。
人の言葉が、いつも私を成長させてくれるのだし。

そんな中、こんな私を信頼して任せてくださった庭が完成し、感動と感謝の余韻が残る11月だった。
嫌な事など吹っ飛んでしまうくらいの、出会いだった。

そしてそして、そして、ああ、そして、
事務所と自宅の移転計画が夢や空想の中ではなく、現実の出来事として進んでいるのだ。
このクソ忙しい年末のサナカに・・だっ!!
いつだって前を向いて来たのだから、2008年は、さらにさらに新しいスタートを切り、前進あるのみだ。
まずは、年末までの仕事を真面目にこなして、満足な締めくくりをしよう。
そして、ワクワクドキドキできる人生を、感謝しよう。



10/22//自惚れ

様々な理由で、庭園管理の業者が入れ替わる事がある。
物件の所有者や管理体制が変わる事が多い昨今は、よくある話だ。

新参者は、前の職人がどのような仕事をしていたか、良くも悪くも、勉強になり、刺激になる。
逆に、いつか退く時があるかと思えば、次の職人の視点を意識し、日々手を抜いた仕事はできないのだ。
施主への配慮とはまた違ったこだわりが、そこにある。
松を始めとして、庭木の手入れの仕方は職人それぞれの個性が出るから、見積もり金額の差より面白い。
一体誰がやってたの?と、嘲笑されるような仕事はしたくない。
予算と時間の関係で刈り込み仕立てにする場合はさておき、
うちは、枝の数を減らし、透かした形にする事が多い。
枝先だけチョンチョンと摘むようなマネはしない。
そして、剪定後の掃除の仕方もそれぞれだ。
低木類の植え込みの中までも綺麗に枝葉をかき出してあるかどうか、これはポイントが高い。
毎回の掃除が綺麗だと、根元に腐葉土が溜まっていないのでブロアーの通りもスムーズで平らな地面が気持ち良い。
手を抜いた掃除は、植え込みを覗きこめばすぐにわかるのだ。

それはさておき、下の写真、左のスリムな黒松と右の大きめな赤松。
あまり手入れされていない状態だったが、うちの親方は1人で1日かからなかった。
とても速くてとても綺麗。
一部、高所作業車を使ったが、ほとんど梯子から幹へ登り移り安全ベルトでの作業だ。
滅多に口には出さないが、親方の仕事ぶりだけ(だけ?)はいつ見ても惚れ惚れする。
なぜ、速くて綺麗なのかというと、長い年月をかけて現場で覚えたからだ。
松の枝のどこに鋏を入れるか、どの枝を残すのか、それだけの方法や過程は、ある程度真似できるし、教科書にも載っている事だ。
でも、速さと仕上がり、それは、長い月日をかけて習得するものだ。

私は脚立だけでも届く松の手入れをしながら、タイミングを計って掃除に入り、また手入れに戻り、と小刻みに動く。
時々、手入れの終わった枝を見せて「これでいいかなぁ?」と親方に評価を聞く。
ふんふんと頷いて、ちょっと鋏を入れて手直しをし「ここはいらない」などの一言二言に、表現できない「なるほど感」がある。
私の目標は親方になる事ではないけれど、生涯絶対に二連梯子には登らないけれど、出来る事のマックスを探したい。

(息苦しい・・) (真ん中に親方の姿・・) (スッキリ・・)