日々のこと/4月


4月?日/ガーデニング教室参加

芝の除草や適期の剪定や施肥や消毒やあれやこれやの管理作業が続いて、
「おかげさま」の日々で、快食快眠快便。
先日、市民対象の「ガーデニング教室」という催しに参加してしまった。
変装しなくても「植木職人」とは誰も気が付かないだろうから、
ジーンズにトレーナーにスニーカーの普段着で行く。
実は、何を隠そう、これで二回目の参加。(隠さんでもええ)
この前はクリスマスのチカチカしたイメージのよせ植えだった。
今回は、テーマ不明、内容不明のまま行く。
なぜ植木屋が行くのか。
その1.集まる人は庭や木や花の好きな人達であり、
今、皆さんは何を求めているか、を探る。
その2.目からウロコの話が講義で聞けるかもしれない。
その3.大手を振って、仕事を休める。

午前中は講師の先生が、広く浅くササーッと花壇作りの講義などをし、
宿根草や一年草の名前を少し覚えたりする。
そして40名ほどの参加者が各班に分かれて、テーブルを囲み、
ミニバラとラミウム(シソ科の葉っぱ)の寄せ植えに「挑戦」する。
植穴をせっせと掘るわけでもなし、ちょこんと手のひらに乗る苗を植えるのに、
「挑戦」も何もあるかいね。・・と、お腹の中でブツブツ・・。
そして、太めの竹を半分に割って30cmほどに切った手作りプランター。
竹垣工の残像のせいで、見ただけで「うっ」となる。
まあ、プラスチックのプランターよりは、環境モンダイ的には○。
ビニール袋に詰められた「プランターの土」を入れ、苗を植える。
やり始めれば、自分を忘れて夢中になる。
ミニバラだけの方が良いなあ、と、思い、ラミウムはポットのまま置く。
「竹とバラ、って、以外と合いますね。」と、講師の先生。
持って帰ったらすぐ素焼きのハチに移そうと思っていたから、
何も答えられず、微笑む。
なぜ、こーゆー「寄せ植え」が流行っているんだろう。
コンテナの中に背の高いもの低いもの、あれこれ混ぜて植えるのが流行らしいが、
なぜ?
それにしても、リカちゃんハウスと、正月用の松竹梅の寄せ植え盆栽を思い出す。
ミニガーデンの「作品」に仕上げ、ガーデンデザイナーの気分になれるからか。
庭のない人、狭い人でも手軽に「庭」を楽しめるからか。
しかしその「コンテナミニ洋風寄せ植えガーデン」を庭先に置く人もいる。
はてな?
ガーデンデザイナーという言葉はつい最近、ジャパニーズの庭の歴史に加わった。
西洋と、ひとからげに表現するのは問題かもしれないが、
数学的な線と曲線がベースの西洋庭園は、製図し易く、模様として描き易い。
つまり上から見た図で表現し易い。
でも、日本の庭は自然の線が多いから、フリーハンドで描く方が上手くいく。
そして製図やデザインで表現出来ないものが、日本の庭にはある。
だから、デザインより施工が重視されてきたのかもしれない。
わび、さび、は図に書けない。
でも今、デザインが重視され、施工は単純な労働のように扱われる。
ああ、迷える職人。
どちらへ体の向きを置くのか。
・・・と、迷いながらも、竹のプランターにはミニバラだけを植えて、
誰にも気付かれないほどのささやかな反抗をしてみる。

午後は、外へ出て、花壇スペースへの植え込み作業をした。
ユキヤナギ、アガパンサス、ユリ、クレマチス、パンジー、・・・など、
どこへ何を植えるかは、大方、講師の先生が決めてあるが、
40人がぶつかり合いながら、それぞれの主張を繰り広げて、
にっちもさっちもどうにもブルドック状態。
つかれたび。
作業終了後、ポッツーンとバーク(土壌改良剤)が1袋残る。
初めに土と混ぜるのを忘れたらしい。
何人かが手のひらにのせ、小指を立てて御焼香のようにふりかけた。
天を仰ぎ、気持ちを落ち着かせ、発言を我慢した。

というわけで、竹に納まったミニバラとポットのままのラミウムをおみやげに
大手を振って仕事を休んだ一日が終わった。
「花好き」と「庭好き」とは違うかもしれない。
「流行っているから」と言う理由で世の中と人は動いている。
良いお勉強になりました。
また、行ってみましょ。


4月?日/うえ切り屋

酒と塩をまき、意味はないが無意識に手を合わせる。
今日は「大安吉日」。
半世紀以上、ここの家族たちを見守ってきた木々。
自分たちもこんなに大きくなるつもりはなかっただろうけど、
もくもくと空に向って伸びてしまい、
空いた地面に木漏れ日を射すだけになってしまった。
ご主人様たちの駐車スペースを確保するために、
今日限りで水を吸い上げることも、炭酸ガスを吸うこともできなくなる。
・・・・・と、センチになっている間はない。
チェーンソーにオイルを入れている男が2名、こっちを向いて「ばーか」と言いたげ。
今回はマツ、シイ、マテバ、マキ、を計7本、根元からバッサリ切る。
あらためて記す必要もない、いつもの作業。
梯子をかけ、枝を落とし、高い方から幹にチェーンソーの刃を当てる。
張り出した大枝を落とす時は、都合の良い箇所にロープをかけてソロソロ落とす。ロープがかからない所は、筋肉が発達している親方が自力で支えて、落とす。
もしくは、刃の入れ方の加減で真下に落ちないようにする。
技あり。拍手。
枝のなくなった幹だけの木は、いつ見ても、恥ずかしそうに見える。
「はやく切ってくれ〜」と棒立ち状態。
障害物がない、安全な地面の時は、上の方からドスンと、落としながら切っていく。
下の方になった時、幹の真ん中まで刃がはいると、ブシューッと水を吐き出した。
シイの木の命を感じた。
「この石も邪魔だから、持ってってくれる?」
持つ、と言われても、持てない。動く訳がない。
ひとかかえほどの大きさの捨て石(景石のこと)が、なるほど邪魔。
削岩機を持ってきて、ダダダダッ、をし、ノミを入れて、割る。
持てる大きさに分解して、運び出す。よっこらしょ。

広々した地面と、日差しを確保でき、人間様は、大満足。
太い幹が2tダンプに1台、枝が3台、山盛りのテンコ盛り。
思えば、いつからか、最近、「植える」より「切る」仕事の方が増えている。
「植木屋」から「うえ切り屋」になるのは、いやだあ。

この後、フェンスを取り変えて、レンガの花壇を作り、タイルを貼り、・・・
と、いう予算は全然ないらしく、このまま車を置くだけらしい。
とても、残念。

最後にほうきで掃いてピカピカの仕上げをし、
むき出しで地面スレスレの切り口に、周りの土をかぶせて目立たなくした。
ナムナム。