日々のこと(8月)

8月?日/老ご夫婦の庭で/

手入れと草刈とが交互に続く。「今年は暑い。」と言うけど、
毎年こんなもんじゃぁないですか、、、。夏だもの。ガマン、がまん。
冬に、ホッカイロを背中に当てて、白い息を吐きながら、
「夏の暑い時より快適だよね。」と、TOMIと確認したっけ。
力を入れる仕事は、それだけでずいぶん暖まるからなぁ、、、。

老夫婦のお宅のお庭の仕事が続いたが、
庭のことは、ご夫婦のどちらかが、仕切っている場合が多い。
なぜか、お二人とも関心がある場合は少ない。
そして、その「担当者」が「こーやって、あーやって」と指示を下さる。
中には、麦わら帽子をかぶり、私たちの横で世間話をしながら、
一日中付いている方もいらっしゃる。
見られていると、ふーっと、途中で息が抜けない。
気が付くとずいぶん「はか」が行ったなぁと自分でも驚いたりする。
「昔は、ずっと付いて見ている施主さんが多かったサ」と、親方。
それだけ、自分の庭へのオモイイレがあるということだなぁ、とシミジミ思う。
「あっ、そこの沈丁花、裏に移植してくれるかな?」
親方、すかさず、
挿し木なら簡単ですけど、沈丁花の移植は難しいです。
これは、もう10年経ってるでしょう。もうすぐ、寿命ですし。」と答える。
「あぁ、そう。じゃ、根元から切っちゃってくれる?」
と、言う具合に会話をしながらの作業。
耳をダンボにしてそれらを聞きながら、私もいろいろ覚える。

定年後、お山の上の別荘地にご夫婦で永住されて、
きれいな空気と緑の山々に囲まれ、鳥の声で目覚め、温泉につかり、
週に一度、ご夫婦揃って買い出しに出かける。
こういうのが、「悠々自適」ってことかぁ、と羨ましく思う。
でも、自分と置き換えて想像すれば、
もし、病気になったり、体が利かなくなったらどうしよう。と、考えてしまう。
悪い方へ考えが傾く、いけない性格、、、。
潜在意識にいつもハッピイな姿を送り込まなきゃと反省しているワタシ。
でも、「老い」は潜在意識に送り込んでも、やって来る。
高齢者福祉介護、なんて言葉は、遠くないのだ!TOMI、頼むぞ。
ためになるHPを2つ、紹介。がんばっている主婦は意外と多い。
(Welcom40)と、(ほんとの福祉ってなに?)です。行ってみて。

「あー、きれいになった。ごくろうさん。」という言葉に見送られ、
お山の別荘地を後にする時は、西に日が傾き、少し涼しい風が吹く。
汗でピチャピチャの背中が冷たくって、気持ち良いやら、悪いやら。
お客様は長生きしてほしいなぁ、と本音をかみしめ、家路を急ぐのであった。ジャンジャン。


8月?日/池の鯉のムシ/

5月に「ウオジラミ」の発生で息も絶え絶えだった美人鯉(名前ナシ)が、
リフィッシュ」という薬で元気になった事は、
「今月の庭仕事」で以前書いたが、また、発生してしまった。
我が家の池は地下水を動力でくみ上げ、
滝口からジャバジャバと流しているのだが、(音がうるさいデス)
この「井戸水」は水温が年間を通してほぼ一定で、四季がない。
だいたい水温18度で、夏は冷たく、冬は暖かく感じる。
だから、ムシが発生する条件はほとんど変わらない。
そのせいかどうか、一度発生すると壊滅させるのに根気がいるのだ。
親は薬で死んでも、卵が残っていたりするらしい。
しかたなく、前と同じ作業にかかる。
池の水位を下げ、動力を止めて、水を止める。(庭がし〜んと静かになる)
リフィシュ」を一瓶、水で溶いて入れる。
今回、鯉の様子を見ながら、「ディプレックス」を少しずつ入れた。
鯉が酸欠にならないように、時々石に水をかけながら、池をかき回す。
3時間ほどすると、鯉の体からはがれた「ムシ」が苦しそうに浮いてきた。
どういう訳か、色のきれいな美人鯉が被害にあう。
黒くて太っちょのボスのような鯉は丈夫で、「ムシ」もつかないのだ。
な〜んとなく人間社会に似てるぞ。
水を出し、水位を戻し、またジャバジャバという音の世界に戻った。
元気になった美人鯉が嬉しそうにすーいすーいと泳ぐ。
生きた(アユ)を池に入れると、石や底についたコケを食べてくれるので、
池がぴかぴかになるのだが、ここ何年もそのワザを使っていない。
ゆったり泳ぐ鯉の間をシュンシュンした動きで機敏に泳ぐ鮎の姿もおもしろい。
今年は、入れてみようかと思う。
イヌもそうだが、生き物は世話がかかるが、その分、心を癒してくれる。
ねっ、セナ吉。


8月?日/カツオのたたきと生け垣と建築協定/

新鮮なピーンと生きの良い近海もののカツオくん。
串に刺して火に炙って焦げ目を付け、冷水にとる。
焦げた皮が香ばしく、たたき込んだ生姜の香りでいただく。
でも、これは好きじゃない。
カツオはそのままのお刺し身の方が絶対にウマイ!(新鮮なら)
そして、骨を潮汁にすれば、完璧。

今年は、残暑が厳しい。秋と冬は来るのだろうか、と、不安になってきた。
帽子をかぶり、長袖シャツを着て日差しを避けるが、
ひなたでの仕事は、「コンガリ」と働く人の全身を焦がす。
動き始めて間もなく汗が噴き出て、シャツはピタピタに濡れ、
その水分で蒸し焼き状態になり、
日陰で息を整えれば、吹く風に冷まされて、背中から身が引き締まる。
なぁんだ、カツオのたたきと似たようなもんじゃぁないですか。(^_^;)
牛のたたき、の方が、しっくり来るかな。
「私は食材。」なんのこっちゃ。
歌やドラマのタイトルにも、ならないなぁ。

「食材」といえば、そうだ、
生け垣の材料の竹が足りないから、注文しなくちゃ。
つぎつぎと、連想が続くなぁ。

分譲地によっては、様々な建築協定を設けてある事が多く、
一戸建てでなくてはならない。とか、
高さの制限があったり、営業の業種の制限や、いろいろです。
(詳しく書くと長くなるので、、)
別荘地では外観や、外回りの制限を受ける事がしばしばあるが、
植木屋にとって、好条件の協定は歓迎。
「木を たくさん植える。いつも植木屋さんに切ってもらう。」
というのは、ないかなぁ。ないよなぁ。
「フェンス、塀、で敷地を囲んではならない」というきまりはあるようだ。
「生け垣はよい。」という但し書きつきで。
今回は、「協定」までいかず、「申し合わせ」程度だが、
やはり、厳守せねば、ご近所との揉め事の原因になったりで、
住みにくくなるだろうから、施主様も従うことになる。
その内容は「接道側は、囲うならば、生け垣で。」とのこと。
当初の打ち合わせでは、全体を生け垣で囲う予定だったが、
「それでは、接道側だけ生け垣にして、あとはフェンスにします。。。。」と。
結局、仕事のカサは、減ってしまった。(T_T)

建築に関しては、建築基準法から始まり、様々な法律が定められているが、
法を守れば建築出来るというものでもなく、
人と人の揉め事も支障になることが、多々ある。
国立市でも、マンション建設で町の景観が問題になっているが、
皆が幸せな解決法はないのかなぁ。


8月X日/「木の癒し」を読んで

ふらりと入った本屋さんで、
何気なく目にとまって求めた本が、
自分の心にしみて栄養になると、その「偶然」が貴重に思える。
飛鳥新社出版の「木の癒し」を読んだ。
(ギーゼラ・プロイショフ著、小川しょうこ訳)
私はいつも「庭は人の心を癒すのだ」と信じて仕事をしている。
だから、「人は、庭を可愛がらなくてはならないのだ」と、思っている。
でも私が日々、頭に描いている木や花と人との関係は、
曖昧で、形の無いぼんやりしたものだった。

だから、この本を読み、私の中の曖昧なそれらを、
少し形にまとめてくれたようで嬉しかった。
庭の作り出す自然の色を見、自然の音を聞き、自然の風を感じ、
それらの心地良い感覚で癒してもらっているのだと思っていた。
庭イコール木ではないが、木の持つ「癒しの力」はもっと偉大だった。

私は子どもの頃から、ものには全て魂が宿っていると思っていた。
ディズニーの「ティンカーベル」やもののけ姫の「こだま」のように、
かわいらしいキャラクターで姿を表すとワクワクする。
インディアンのナバホ族は、地球に存在するもの全てに魂があると考えている、
と書いてあったが、私の前世はもしや・・・。
ナホバ族だけでなく、世界中の人々が、木に「神霊が宿る。」と信じている。
スカンジナビアの人々は、家に植えた木に守護神が住むと信じる。
一本の木を見上げながら家族が皆仲良く平和に暮らしている光景が目に浮かぶ。

ヨーロッパのケルト族が独自に作り出した時間割に、
ツリーサークルという、一年を35の月と4つのシーズンに分けたものと、
ツリーカレンダーという28日を一月とし、一年を13ヶ月にしたものがあるそうだ。
どちらもそれらの「木の暦」にそれぞれ守護樹が決めてある。
それらの守護樹を含めて32種の木達の歴史と効用と、
エッセンシャルオイルのことがまとめてあり、
私が知らなかった木の別の姿を知り、楽しかった。

私の誕生日の木は、「いちじく」だった。
短いホロスコープもあり、当たっていた。
連想通り、アダムとイブが体を隠すのに使った事や、
便秘に効くことが書いてあり、さらに他の効用もあった。

著者のギーゼラさんは、ドイツのセラピストだそうだ。
その専門的な目で書いている部分も多かったが、
しばらく「机の上に置きたい本」の一冊になりそう。